それによりますと、福澤諭吉は時事新報を発刊し、広告を販売と並ぶ経営の柱としており、創刊25周年記念の際は、224ページのうち、なんと9割の200ページが広告で埋まり、第三種郵便規制でこれ以上の広告を断ったそうな。門弟に広告会社の設立を勧め、営業やコピーライターを育成、時にみずから看板を書いていたそうです。
また、当時売薬の誇大広告が問題視され、諭吉は慶応の機関誌『民間雑誌』に、いまでいう企業倫理、広告規範を論じました。この「売薬論」は裁判に発展しますが、3年後に勝訴しています。
ともあれ、福澤諭吉は教育界のみならず、実業の世界でも時代をけん引していた事にあらためて驚かされます。
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